本記事では、ソフトテニスが上手くなる練習方法を生物に関する知識から考えてみたいと思います。
タイトルにもある通り、注目する生き物はは「アリ」です。
アリと人間は大きく異なる生き物同士ですが、共通している部分はあります。
現在まで生き残っている生き物は皆、生き延びるための性質を備えているものです。
生物のメカニズムの中に、スポーツで抜きんでた存在になるためのヒントが隠されています。
「さぼりアリ」とは?
「働きアリ」と呼ばれるアリがいます。
アリは列をなしてせっせと働いているようなイメージを抱きます。
「働きアリの中に、働かないアリがいる」という話を聞いたことがありませんか?
働きアリの中に働かない個体がいる!
アリの集団をよく観察すると、皆が働いている訳ではないそうです。
アリの集団の中には一定数働いていない者がいます。
一見すると忙しそうに動き回るのですが、集団を手伝うことは全く行いません。
この、働いていないアリのことを本稿では仮に「さぼりアリ」と呼びます(さぼりアリは生物の正式な名称ではありません)。
集団内に見られるさぼりアリは1割程度だと言われています。
集団の中から、残り9割の働いているアリだけを選び、新しい集団を作るとどうなるでしょうか?
もともと働いていたはずのアリの中から、やはり1割ほどの個体が働かなくなります。
つまり、アリの中で「働くアリ」「さぼるアリ」というのは生まれつき決まっている訳ではありません。
ある集団が形成された時に、一定の割合が働かないという性質を備えていると考えられます。
さぼりアリは、なぜさぼるのか?
アリがこのような性質を持っているのは、生存に有利だからです。
一見ネガティブに語られがちな「さぼりアリ」の現象ですが、種全体として見た時には必要な役割を担っています。
仮に全てのアリが同じ行動を取るとすれば、集団が水に流された場合などには全滅します。
しかし別行動を取っている者がいれば、そこから種が存続します。
あるいはこれは、休養や余裕の大切さにも繋がるかもしれません。
集団の中で多くの個体が活動し、疲弊している状況では、余力を残している個体が動けます。
このようなアリの特徴は、実は多くの生物に類似点が認められるものでもあります。
アリという種が現在まで生き残っているという事実。
これは、長い間「個体が生き延びること」「子孫を残すこと」の2つに成功し続けてきたことを意味します。
言い換えれば、生き延びることに適した性質を備えているということです。
働きアリのうちの100%、全員が働くことが有利であれば、1割がサボるという性質は残っていないと考えられます。
生物の仕組みが全て生存に有利に働くよう作られている訳ではありませんが、理論的にも利点があるのは前述した通りです。
生物の多様性、人間の多様性
人間もアリの場合と同じように、多様性が維持されています。
生得的な遺伝子にも様々な形質がありますし、人間の場合は特に、学習によって大きく変わる可能性も残されています。
生物の営みで言うと、集団の中に多数派(マジョリティ)と少数派(マイノリティ)がいることは自然なことです。
種の存続のためには多様性が必要不可欠で、だからこそ現在の人類にもその構図が維持されています。
人間が狩猟採集をしていた時代を考えてみましょう。
多くの人が尻込みをしている中で、その空気を破って踏み込んでいける人が集団には必要だったことでしょう。
日本は同調圧力が強いと言われますが、多様性がある方がむしろ生存には有利です。
「マジョリティか?マイノリティか?」。
これは正しいか正しくないかには関係がありません。
優れた才覚を発揮する人は明らかに少数者に属するでしょう。
スポーツで抜きんでた存在になるためにも、多くの人とは異なる思考・行動が、時に求められるのです。
参考:【研究者】ジャック・アンドレイカさんに学ぶソフトテニス上達のコツ!
ソフトテニスは「さぼりアリ」で上手くなる!
ソフトテニスが「さぼりアリ」で上手くなるとは、「多数派から離れる」ことで、上達の近道を行くことです。
多数派であることは正しいことの証明にはなりません。
多数派にも少数派にも、それぞれ正しい場合と、間違っている場合があります。
「心の習慣」を変えるとソフトテニスが上達する!の例にもあるように、多くの人が持っている常識の方が間違っている場合、常識に反することが正しいことがあり得ます。
ソフトテニスの「マジョリティ」と「マイノリティ」
ソフトテニスの世界において、マジョリティとマイノリティはどのように位置づけられるでしょうか。
多くの人が実践している理論は、正しいと言えるのでしょうか?
練習で思い通りにボールが打てるようになるプレーヤーの割合は、一握りに留まるのが実状でしょう。
この状況が示すのは、ソフトテニスを一般的な方法で練習して上手くなれる確率は低いということです。
例①後衛のストローク
後衛ストロークについて、以下のようなアドバイスを皆さんも聞いたことがあるかもしれません。
「腰を落として」
「フォロースルーは首に巻き付けて」
ソフトテニス上級者は腰高で強烈なボールを打つ選手がいます。
また、ラケットを上に振りぬくスイング=ウィンドミルを多用するプレーヤーもいます。
スイングの目的はボールを打つことで、そのためには正確なインパクトでボールに力を伝えます。
全身がスムーズに連動して、タイミングよくインパクトすることがナイスショットに繋がります。
膝を曲げたり腕を首に巻き付ることと、ボールコントロールとの関係には疑問があります。
例②前衛のボレー
前衛では「ボレーはラケットを振らない」ということが常識として挙げられます。
しかし「ハイボレー」は誰でもラケットを大きく振ります。
スイングしなければ、威力のあるボールが打てません。
トップ選手の中にはランニングボレーや、時にはディフェンスボレーでさえ、ラケットをスイングするプレーヤーはいます。
ストロークの例で確認した通り、狙い通りのショットは、ボールに正確に力を伝えることで実現します。
正確にインパクトする技術があるなら、ボレーでラケットを振っても打てるのは原理的には当然です。
ボレーを振らないのは、相手プレーヤーとの距離が近く、スイングの時間がない場合です。
反対に言えば、ボールに合った動きであればボレーもスイングして打つことができます。
結果としてコンパクトなラケットワークにはなりますが、フォームではなく直観的な判断能力の結果です。
以上のように、前衛・後衛のいずれにおいてもトップ選手たちが常識に従っているとは言い難いでしょう。
本人に自覚はなくとも、ソフトテニス上級者は常識に反した練習をしている場合が多いようです。
ソフトテニスが本当に上手くなる「少数者の道」
ソフトテニスが本当に上手くなるための方法。
それはフォームを頭で考えるのではなく、体の感覚でボールを打つ練習です。
ソフトテニス上級者がフォームを指導する場合もあります。
一見説得力がありますが、本人が正確に打てるのはフォームを意識しているからではありません。
ソフトテニスで打つボールは毎回変わります。
ボールのコース、スピード、スピンなどが完全に一致することはまずないでしょう。
打つボールが毎回違うにも関わらず、体の動きはそれに正確に対応している。
ボールの動きに合ったスイングを感覚的に行う「対応力」が、ソフトテニスの技術の本質です。
「同じフォームで打ちましょう」とアドバイスをする本人が正確なショットを打っているとすれば、その人は同じフォームでは打っていません。
体の自動的な調節機能によって、ボールの変化に合わせて毎回違うスイングをしています。
ラケットを同じ軌道でスイングするマシーンがあれば、毎回同じフォームでスイングできるでしょう。
ですが、そのようなマシーンは毎回違うボールの動きに対応ができず、正確なショットは打てません。
正確なショットのために必要なのは「感覚」です。
感覚は正しく練習すれば誰でも身につけることができます。
日本語が話せるようになるために、文法を覚えなければならないでしょうか?
自転車に乗るために、フォームを覚える必要があるでしょうか?
ソフトテニスで大切なのは、反復練習によって磨かれる感覚。
今までの自分と違う成果が欲しいと望むならば、マイノリティの道を選ぶ勇気も必要でしょう。
参考:ソフトテニスの練習方法で昔から皆がやっていること=間違い!?
まとめ
●アリの集団の中には常に一定の割合で「さぼりアリ」がいる
●人間の中にも多様性が見られることが自然なあり方
●多数派(マジョリティ)が正しいとは限らない
●ソフトテニスが上手くなるのは少数派
●従来の理論を疑い、正しい方法で練習することがソフトテニス上達の近道